田舎おやじの言動log

田舎で暮らすおっさんの言動を適当にロギング。

PC遍歴その1

 先日IME遍歴を書いたが、同時に昔使っていたPCについても結構思い出してきた。せっかくなので記録として順に書いていこうと思う。ただググって確認するにも限度があるので、信憑性、正確性についてはかなり怪しい。

 

・1980年代(中学MSX2時代)
 自分が小中学生だったこの時代は8ビット機が全盛だった。ただ私は最初それほどPCに食いつきが良かったわけではない。小学生の頃はゲームと無縁の釣りと虫取りや動物、模型作りが好きな、それなりに健全な子供だったと思う。PCというかパソコンはCMで知っていたものの、現物を触ったのは6年生も終わりの冬、親が教員だった友人宅でPC-98のゲームをやったのが最初だ。音が鳴っていなかったのでFM音源の無いVMかFだったらしい。大戦略ブラックオニキス、ディーバ、ウルティマ4を遊んだ記憶がある。ただ、ややマニアックで大人向けのラインナップだったせいか、どちらかというと私にはドラクエ1の方が刺さったものだ。


 初めてパソコンと呼べるものを所有したのは中学1年の初夏。部活の友人のお古でMSX1をもらった。カシオのゴムキーの奴なので多分MX-10とかだ。同時に仲間内から何本かゲームも借りた。カセットとテープで、テープはレコーダーごと借りたのだろう。この時あまり面白いものは無かった。かすかな記憶でロマンシアは激ムズ、ザースやブラックオニキスはテープで遊びにくい、など。唯一熱心に遊んだのは破邪の迷宮とガリウスの迷宮くらいだった。

  プログラミングと出会ったのは1月ほどゲームで遊んで飽きた頃。夏休みのある日、暇にまかせてBASICのリファレンス書を読みながら、半日くらいかけてLINEとPAINT命令でチューリップを描いた。完全な無からTVに絵が映し出される有を作り上げた感動は、それはもうすごかった。たまたま親父がこれを見て感心してくれたのもいい気分だった。これはあとで知ったのだが、親父は若い頃コンピューターオペレーターをやっていたことがあったそうだ。パンチカードで数字が出るだけの冷蔵庫のお化けが、たかだか20年でこんなものに生まれ変わって普及してきたことに感銘をうけたのだろうか。

 ともあれこの出来事があって、我が家では後のPC購入に比較的容認される傾向にあったと思う。ファミコンは親の前で遊ぶことすら満足にできなかったのに、この年の冬にはお年玉でMSX2機購入を許されたのだから。

 

 そんな事情で正式な自身初PCはMSX2パナソニックA-1Fだ。FD搭載かつ2スロットで拡張性があったため、なんだかんだで大学に入る頃まで長いこと触っていられた。当時やれることは幼稚ではあったが大体やってみたし、こいつでPCのイロハを覚えたと言ってもよいと思う。

 プログラミングについてはこの頃熱心にやっていた。MSXファンを愛読し手当たり次第に掲載ゲームを打ち込んだし、BASICでテキストスクロールの簡単なゲームをはじめ、WIZ風味のワイヤーフレーム表示ダンジョンを歩く、ブロック崩しのブロックなし版みたいなものも自作した。高校に入学する前後にはアセンブラドラクエ風味の2Dスクロールプログラムも組める程度にはなっていた。ただゲームにものめり込みはじめたので、1本の完結したゲームを作る(能力獲得)時間や根気は無かった。この辺は気の多い一般ヲタらしかったと思う。

 ゲームの方は小遣いの都合があって本数は無かったが、RPG中心に厳選して購入した。ウィザードリィにハマった時期でもあるため、マイトアンドマジックをはじめとしたPCならではの硬派(と自分が思っていた)なものが多かった。例外だったのはイースシリーズ。友人にIを借りたのがきっかけで、以降ファルコム直販でシリーズを買うようになった。今でも探せばこの頃のおまけのFDケースとかが出てくるはずだ。
 あとエロゲーに手を出したのも中学3年、卒業間近の時期だった気がする。初めて買ったのは中古のぱわふる麻雀2、新品のカオスエンジェルズどっちだっただろうか。まぁエロといってもこの2本、普通のゲームメーカーが出してたしパッケージもそれらしく無かったためか、家電量販店の片隅で普通に売られてた。ノーカンにしてもらいたいくらいエロ要素はヌルい。ぱわふる麻雀2はこれで麻雀ルールを覚えたし、カオスエンジェルズの方はゲームの出来とプログラムの作りに感心させられ、これの模造をよくやってみたものだ。

 

 こんな感じで中学卒業時期、趣味の中心はすっかりPCになった。しかし今に繋がる知識や感覚を手に入れた代わりに、視力を悪くしたのもちょうどこの頃なのだった。

 

続く。