田舎おやじの言動log

田舎で暮らすおっさんの言動を適当にロギング。

PC遍歴その2

続き。

 

・1990年代初期(高校PC-88時代)
 高校に入学してすぐに眼鏡となった。視力低下というより乱視の影響が大きかったが、原因は間違いなくTVの見過ぎだろう。それもTV番組やファミコンじゃなく、MSX2のせいだ。

 ただMSX2はこの時期からシェアを落として迷走し始めていた。圧倒的だったのはPC-88シリーズだ。高校時代にできた友人は少なからずこのPC-88シリーズを持っていたし、皆こいつで山のように発売されるゲーム、とりわけエロゲーに興味津々であった。しかしこのPC-88シリーズは中坊あがりがお年玉で手に入れられるような金額ではなかった。モニターとセットで20万近くの出費と机1つ分の設置スペースは、当時の一般家庭でなかなかに敷居が高い。また高校に入って急激に成績が落ちたという個人的なポカもあり、夏頃までは恐れ多くて親におねだりのそぶりもできなかった。それでも世の主流はNECで確定しつつあり、いかにMSX2を気に入っていようとも気になるものは気になるのだった。

 

 入手の目処が立ったのはその年の冬。一念発起して学校平均くらいに成績を挽回(ショボい)し、その見返りとして祖父にPCを購入してもらえる事になったのだった。そして選んだ機種はPC-8801VA2。小狡さ全開で飛び抜けて高価だった事を隠し買ってもらった。死んだ祖父と両親にはあの世で土下座くらいじゃ済まない不誠実だが、それでもこの機種を買って良かったと思うことは多かったし、少なくともCD付きのMCよりは正解だったと今でも信じてる。
 さて、そのPC-8801VA2なのだが、買ってしばらくはゲームばかりやっていた。褒められたことではないがコピーが公然と行われていた時代であり、88シリーズの普及率の高さもあって仲間内や中古屋でかなり安価にゲームをローテすることができたのだ。特に念願のウィザードリィシリーズは遊び倒したし、Windows時代に繋がるエロゲーシリーズも熱心にやった。ちょうどきゃんきゃんバニーとかリップスティックADV、ドラゴンナイトなど、フェアリーテールとエルフが台頭してきた頃だ。まだソフ倫も18禁シールも無く、ぶっちゃけエロ本より入手は楽だった。
 そういえばVAシリーズで動かないゲームが少々あった。モード切り替えでなんとかなるものもあったが、記憶にある中では麻雀悟空とかどうやってもダメだった。あとVAシリーズのFDDはガチャガチャとなかなか派手な音をたてていた。ウィザードリィではこのアクセス音で、敵が表示される前にある程度判別できるようになったくらいだ。数年前に入手したMA2も同じ音を立ててたので2HDドライブ特有だったらしい。それとサークなどのプロテクトはこのFDのせいかよく誤爆した。マイクロキャビンにサポート依頼してプロテクトを緩くしてもらったのはある意味良い思い出だ。

 

 プログラミングは中々乗り気にならなかった。言い訳は色々ある。MSX2アセンブラまである程度触れるようになったのに今更BASICかという傲りもあったし、BASIC自体の作法の違いも理解が面倒に思えた。そして一番のネックはビデオ周りの構造の違い、というか普通のPC-88ではスプライトが使えないという部分だ。購入前に知ってはいたものの、中坊あがりでなめてた自分にはさっぱりだった。そしてPC-8801VA2は独自のスプライト機能がある事を見越して購入したのに、こちらもまるきり使いこなせないでいた。参考資料が少なすぎる上にスプライトデータを作るツールも満足になかったのが致命的だった。田舎のイキったガキが自力でなんとかするには難しすぎたのだ。
 しかしある日唐突に遠のきかけた興味が戻ってきた。きっかけは、日高徹さんのマシン語ゲームプログラミングという本が発売されたことだった。それまでアセンブラでゲーム製作を中心に解説する参考書はあまりなかったように思う。あってもデータ作成やコンパイルツールまで解説されておらず、じゃあオリジナルのゲームを作ろうとなった時に潰しがきかない傾向だった。ハンドアセンブリとか子供でも無理だとわかる。しかしこの本は今だ名著と言われるだけに違った。まずは自作コンパイラを用意するところから始まったし、そのコンパイラを日高さん自ら安価で通販もしていた。当然私も小遣いをはたいて購入したが、その時直筆のメッセージをいただいたことは本当に励みになったし、学んだ知識が30年の時を経て直近の組み込み系自社製品開発に活かせたことは私的最高エピソードだ。本当に日高さんには足を向けて寝られない。

 

 というわけで前半ゲームに熱を入れすぎたことと、後半大学受験などで圧倒的に時間が足りなくなったことが災いし、高校時代はただあるものを消費するだけの暗黒期だった。しかしこの頃の経験がきっかけで大学時代は濃い友人が何人もできたし、前述のように今だに活かす機会にも恵まれている。まったく無駄ではなかっただけでも良かったと思うべきか。

 

続く。