田舎おやじの言動log

田舎で暮らすおっさんの言動を適当にロギング。

PC遍歴その5

続き。

 

・1990年代後期(Win95、98時代)
 OSもアーキテクチャもめまぐるしく進化したこの時代、就職したてでとにかく金と時間が無かった。分不相応な車を購入しそちらにのめり込んだりもした。なのであまり高価なパーツは買わず、コストパフォーマンス重視の自作をせざるを得なかった時期だ。

 

 社会人1年目は比較的おとなしめの課金(?)だった。冬のボーナスでCPUにCyrix 6x86-PR133、これに合わせてFIC製マザーPA2002を買いSocket7に移行した。性能面で特別目立ったところは無かったが、とにかく両方とも安価でPentium133程度の性能を確保できた。Pentium75からだったので結構な速度差を感じた記憶がある。これで熱心にやってた事はCDのリッピングとmp3エンコだ。エンコは等倍速エンコなんて無理で、SCMPXとかWinampとかで音飛び無く再生するのが精一杯だったように思う。
 ゲームはほとんどやってる暇が無かった。またPC-98からWin95への移行期間だったため、Win95版ゲームの出来は正直あまり良く魅力もなかった。英雄伝説IVが発売していたのは知っていたが、98版というところで引っかかり、結局リアルタイムで買いそびれてしまった。

 それとこの年、仕事でも使えるようにと98ノートを購入した。人並みにローンが組めたので、PC-9821Nw150という当時最強の98ノートを選択。CPUがPentium MMX 150MHzだったので、一時的に我が家で最速PCとなった。こいつは今でも完動状態で、レトロゲーのプレイやエミュ環境整備に役立っている。これで英雄伝説IVをやれば良かったのに、なぜか当時それを思いつかなかった。Win95が標準OSだったからだろうか。

 他にこの頃社宅に引っ越しをしている。社宅といっても社長の持っていた古いマンションの1室で、一人暮らしにはもったいない3DKだった。空き部屋大量となったので、これ幸いと実家から旧PCを一切合切持ち込んだ。

 

 引っ越しが一段落して次に買ったのはATI All in Wonder Pro。なぜ購入しようと思ったのかよくわからないが、多分AGPバスに何か挿したかっただけだと思う。3Dデモなんかが流行っていて、そちらの動作速度アップも少し期待したが、こちらは正直Milleniumよりマシ程度だった。
 しかしそこはAll in Wonder、付加機能のTVチューナーとAVキャプチャによってPCの新しい使い道を習得した。アナログTV視聴、ビデオ録画からのキャプチャ、スカパーのミュージッククリップキャプチャとMPEGエンコを猿のようにした。そしてエンコ速度を上げるためにCPUもPentiumMMX150MHz、6x86-PR233、K6-II 300MHzと次々に乗り換えた。ようやく社会人生活に慣れ、それなりに趣味にさく時間が増えたおかげだろう。それに合わせてマザーもPA2007、ASUSかギガバイトの何かに駆け足で乗り換えたが、これはメモリ規格とMMX対応云々の都合だった気がする。この時血迷ってP6に行かなかったのはATIのおかげだ。

 DVDを買い始めたのもこの頃だ。一般家庭に普及するかなり前から手を出していたことになる。Rage ProチップはDVD再生支援があったのでショボCPUでもなんとか再生できた。アルマゲドンとかガンダム0080、0083をせっせと買い集め、PCで視聴していたが、SD画質でもブラウン管表示では恐ろしく綺麗に見えたものだ。

 

 1990年代も終わりが見えてきた頃、自作PC界隈はCeleronのOCで湧いていたのだが、自分はなぜかこちらにはいかなかった。キャプチャや録音エンコにハマっていたため、CPUよりHDDやキャプチャユニット、サウンドカードにお金を掛けていたのかもしれない。NECのキャプチャーユニットでTV番組の録画を始めたのもこの頃だ。mpeg1で綺麗ではなかったが、テープ録画と併用してダブ録らしきことをしたり、映画のVIDEO CDを作ったりとそれなりに遊べた。
 PCの方は前述のように録画ファイルをため込む都合で、HDDの容量が大きくなるたびに買い換えていた。10,20,40,80GBみたいに倍になったら買い換える感じだ。あとはスターデジオ録音に手を出したため、光入力端子付きサウンドカードをいくつか買った。Vortex2、YMF724、YMF754あたりだ。このあたりはスターデジオ録音の記事に書いた。

 ビデオカードはAll in Wonderでしばらく困っていなかったが、ある時気まぐれでVoodoo Bansheeを買い、3Dゲームの方、とりわけレースゲームにハマっていった。その後肌色発色の良さとDVD再生支援を求めてEXpert128に、そして発色と3D性能のバランスが良かったG400 MAXに乗り換えた。G400は会社の先輩からかなり安く譲ってもらったので大変ありがたかった。そしてなぜかnVidiaと縁が無いまま90年代を終えてしまう。

 CPUはギリギリまでSocket7で粘った、というか最終的にK6-III 450MHzを載せたのだが、こいつの性能のおかげで粘ることができた。今は当たり前の3次キャッシュは動作マザーを選ぶものの、その効果は絶大だったと思う。こいつのせいでこれ以降完全なAMDの犬になってしまったのだから、私にとって実に罪深きCPUでもある。


 で、このままSocket7で21世紀に突入するかと思われた99年末、唐突な不幸が襲う。CPUとマザー、電源が突然死したのだ。原因は断定できないが、猿のようにエンコとゲームを遊び24時間ほぼ稼働していた事実から、恐らく熱と電流負荷で電源が死に、CPUとマザーを巻き添えにしたものと考えられる。自作PCによくある最後だ。
 ともあれ、この出来事でPCをほぼ新調することになってしまったが、すっかりAMDに飼い慣らされた自分にはAthlonしか選択肢が無かった。突然の出費だったので日和って550MHzにしてしまったが、結果的にこれは正解だったと思う。当時やっていたレースゲーは実に快適だったし、エンコもそれなりに速くなった。


 こんな感じで90年代は暮れていった。OSはパーツ選択と直接関係ないがWin95→WinNT4.0→Win98SE→Win2000ベータと結構めまぐるしく変わった。Win95OSR2が自作PCに降りてこなかったので仕事で使っていたNTに行き、ゲーム互換性の都合で98SEに乗り換えた。無印98,Meも買ったが、OS自体が妙に不安定だったのですぐに変えてしまった。当時の仕事の都合で98SEやNTが無償で手に入ったのはありがたかったし、Win2000ベータはベータのクセに非常に安定して互換性も高かった。最近のWin10より良かったかもしれない。


 ゲームはエロゲー、とりわけノベルゲーが全盛であり、私も一通りこれにハマった。今は一般で活躍しているソフトハウスのものは多分全部遊んでいると思う。エロゲヲタにとっては良い時代だった。あとはハンコンとプレイシートで書いたレースゲーで、新PCパーツの性能を試すのに絶好の機会となった。


 その他ではインターネットが一般的になりモデムがADSLになったり、余りPCパーツでファイルサーバーを組んだり、それらを繋ぐLANカードを使うようになったりした。Run Run Linuxを読んでLinux初挑戦したのもこの頃だが、対応パーツが無くて音を出せず挫折した。採用ディストリがたしかSlackwareで、ことある毎にコンパイルしてコケるのも厳しく、結局ファイルサーバーはNTにしていたはずだ。あと記憶が定かではないが、LCDモニターに移行したのもギリギリ90年代だったと思う。ナナオのSXGAモデルで、5:4なのがVGA中心ゲーム全盛で結構ネックだった記憶がある。

 

続く。